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みんな違ってみんないい、のか?
今読んでいる本のタイトルです。新聞の広告を見て早速購入しました。タイトルから分るように、「みんな違ってみんないい」は安易すぎると言いたいのです。話し合いを止める時の決めゼリフになっているからだというわけです。
なるほど、そう言われてみればそうですね。確かに面倒な話になりそうなときは便利な言葉ですね。個人的には、教科書にも採用された金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」を何度も引用したことがあるので興味をそそられたのです。以前の幼稚園では子どもたちの大好きな歌の一つで私もすっかりとりこになりました。
こちらに来てからも勧めましたが未だに実現していません。それはともかくとして、上記の本では問題点だけが強調されていて、作者の当時の心境には全く触れていないのが残念です。もっとも、最後まで読んではいないのですが。
私がこの詩にひかれるのは聖書の言葉を思い起こさせてくれるからです。
「私は手ではないから体の一部ではない」と言ったところで体の一部でなくなるでしょうか。…だから、多くの部分があっても一つの体なのです。目が手に向かってお前は要らないとはいえず、…(コリントの信徒への手紙Ⅰ12章)。
これは信者たちが党派を作って分裂した教会を元の姿に戻すために書かれたもので、著者のパウロが人間の体の各機能の違いを強調しながら比ゆ的に説得している箇所です。
個性の違いはみんなにあってそれは社会を作るのに邪魔ではなくむしろ補い合う大切なものだというこの視点は、人間観の基本をなすものです。こうした人間観が浸透するならいじめもなくなると思うのです。
出る釘は打たれるという諺が示すように、日本には上記のような人間観が育ちにくい風土があることが問題だと思っているのです。ですから「みんな違ってみんないい、でいい」というのが結論です。皆さんはいかがですか?(こ)
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